小浜藩・御蔵屋敷跡(熊川宿)概要: 熊川宿は小浜藩の本城である小浜城(福井県小浜市)の城下町と京都を結ぶ若狭街道(鯖街道)の宿場町で 近江国(現在の滋賀県)の国境に接していた為、小浜藩から重要視されていました。北川舟運も熊川宿が最終遡上湊であった為、小浜藩では12棟の御蔵を設置し上下郡43ケ村、三方郡18ケ村の年貢米3万俵を集めました。年貢米はここから人馬で近江の木津(滋賀県高島市)に運び、さらに琵琶湖水運で大津(滋賀県大津市)に送られ、そこから上方に分配されました。御蔵の管理には2人の蔵奉行が小浜藩から派遣され蔵奉行所が設けられ常駐していました。明治4年(1871)に廃藩置県が施行されると小浜藩は廃藩となり年貢制度も新たな租税制度となり御蔵や奉行所、御蔵屋敷も破却されました。現在、跡地は松木神社の境内として整備され、建物の遺構はありませんが、御蔵屋敷跡は当地域の歴史を語る上で貴重な事から昭和39年(1964)に若狭町指定史跡に指定されています。又、年貢米が陸揚げされた川湊までの路地は「御蔵道」と呼ばれ、当時の雰囲気が残されています。
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