敦賀市: 金ヶ崎城

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概要・歴史・観光・見所
金ヶ崎城(敦賀市)概要: 金ヶ崎城の築城年は不詳ですが、平通盛が木曾義仲との戦いに備えて築いたのが始まりと伝えられています。当時の金ヶ崎城は北・西・南の三方が海に囲まれている天然の要害で度々城を巡る攻防戦が繰り返されています。建武3年(1336)、恒良親王、尊良親王を奉じた新田義貞が金ヶ崎城に入り足利尊氏が率いる北朝に対しますが、足利方は越前守護斯波高経を引き入れ城を囲むと、次々と兵を増強します。翌建武4年(1337)、足利勢の総攻撃が行われると、金ヶ崎城は落城し尊良親王と新田義顕(義貞嫡男)は自刃し、恒良親王は気比神宮神官と城外に脱出するものの捉えられ、京都で拘束され最終的に毒殺されました。暦応元年(1338)に新田義貞が金ヶ崎城を奪還しますが、その後、足利氏により平定され越前国の守護代甲斐氏の管理下に入ります。

戦国時代、朝倉氏(本拠:一乗谷)が越前を掌握すると金ヶ崎城も支配下に入り一族である朝倉景恒が城主となります。元亀元年(1570)、織田信長の越前侵攻により金ヶ崎城は落城、その時、織田家と同盟を結んでいたはずの浅井長政が裏切り近江海津に進出し為、背後を突かれた織田勢は総退陣、殿を勤めた羽柴秀吉と徳川家康が朝倉勢を防いだ為、壊滅だけは免れたと云われています。現在でも金ヶ崎城の城跡には一の木戸跡や二の木戸、三の木戸、堀切、月見御殿(本丸)などの遺構が残り、歴史的にも大変貴重な事から昭和9年(1934)に国指定史跡に指定されています。又、城の一角には明治23年(1890)に尊良親王を祭る金崎宮が創建されています。

金ヶ崎城:写真

金ヶ崎城
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金ヶ崎城 金ヶ崎城 金ヶ崎城 金ヶ崎城
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