金前寺(敦賀市)概要: 誓法山金前寺は福井県敦賀市金ケ崎町に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。金前寺の創建は奈良時代の天平8年(736)、聖武天皇の勅願により泰澄大師(白山を開山した修験道の高僧。)が自ら十一面観音菩薩坐像を彫りこみ開山したのが始まりと伝えられています。
当時は気比神宮の奥の院として位置づけられ12坊を擁する大寺院に発展し、平安時代初期の弘仁2年(811)には弘法大師空海(真言宗の開祖)も金前寺を訪れています。
当初の金前寺境内は現在の金崎宮辺りにあったとされ、南北朝の動乱時には尊良親王、恒良親王を擁した新田義貞が金ヶ崎城で足利尊氏と対峙した為、多くの堂宇、寺宝、記録などが兵火により焼失しています。
その後、再建されましたが元亀2年(1570)に織田信長の越前侵攻の兵火により再度焼失し、寛文2年(1662)に安孫子浄泉や打宅宗貞等の尽力により現在地に観音堂を再建しています。
松尾芭蕉が奥の細道で訪れた誓法山金前寺
元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥の細道行脚の際、当寺を訪れ「 月いずこ 鐘は沈る うみのそこ 」の句を残し、宝暦11年(1761)には境内に句碑(鐘塚)が建立されています。
昭和20年(1945)、太平洋戦争による敦賀大空襲で被災し泰澄大師が彫刻した本尊十一面観音像も焼失した為、被災を免れた気比蔵寺の本尊十一面観音立像を当寺に迎えています。
金前寺本堂は木造平屋建て、宝形造、銅板葺き、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え。
北陸三十三ヶ所観音霊場特番札所。若狭三十三観音霊場第2番札所。若越新四国八十八箇所第4番札所。御詠歌:極楽へ 罪ある人は金前寺 朝な夕なにさんげ帰依仏。山号:誓法山。宗派:高野山真言宗。本尊:十一面観世音菩薩(袴掛観音)。
金前寺:上空画像
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