敦賀城

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概要・歴史・観光・見所
敦賀城概要: 敦賀城は天正11年(1583)、豊臣秀吉の家臣蜂屋頼隆が5万石で敦賀に入り平城を築城したのが始まりと伝えられています。天正17年(1589)に頼隆が死去すると、大谷吉継が5万7千石で入り、敦賀城を大改修し本丸には3層の天守閣を設け、城域も現在の結城町から三島町にまたがる広大なものだったと云われています。慶長5年(1600)の関が原の合戦で吉継は昔から好を通じていた石田三成と供に西軍に付き敗北、自刃、敦賀城は東軍に引き渡されました。江戸時代に入ると福井藩に属し代官が派遣されていましたが元和2年(1616)一国一城令が発令され敦賀城は廃城となり大部分が破却されました。寛永元年(1624)、敦賀周辺は小浜藩領となり、旧敦賀城跡には藩主の休息所である御茶屋(陣屋)が構えられ内部には代官所や町奉行所が設けられました。明治4年(1871)に廃藩置県となると旧陣屋跡地には敦賀県庁舎が建てられ、その後何度か変遷を繰り返し現在は敦賀西小学校の敷地となっています。

敦賀城の遺構としては中門と伝わる城門が来迎寺表門として移築されています。又、学校敷地周囲に見られる赤川や水路は堀の跡とも云われ、乾門付近に境内を構えている真願寺には礎石が残されています。

敦賀城:写真

敦賀城
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