常宮神社

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概要・歴史・観光・見所
常宮神社(敦賀市)概要: 常宮神社は福井県敦賀市常宮に鎮座している神社です。常宮神社の創建は大宝3年(703)、気比神宮の分霊(仲哀天皇)を勧請したのが始まりと伝えられています。一方、古代から天八百萬比盗_(常宮大神)が既に祭られていたとされ、仲哀天皇2年に天皇と神功皇后が三韓征伐の戦勝祈願の為、気比神宮に訪れた際、神功皇后は常宮神社に長期間留まったとも云われています。齊衡3年(856)には従四位下に列し、承和11年(844)に神功皇后の分霊を勧請しすると気比神宮の奥宮や境外の摂社として信仰を広めました。一説によれば、常宮神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社と記載された天八百萬比盗_社と比定された神社で、天八百萬比盗_社に仲哀天皇と神功皇后の分霊が合祀されたと考えられています。天八百萬比当スは養蚕の守り神として、神功皇后はこの地で後の応神天皇を安産したことから安産の神様として、又、神功皇后が三韓征戦の前、この地で海上の安全を祈願して無事に朝鮮に渡れてことから海神として広く信仰を広めました。

以来、常宮神社は歴代領主や為政者から崇敬され長和4年(1015)に円秀僧正が再興、享禄2年(1529)に朝倉孝景(本拠:一乗谷)と景紀が社殿を改修、文禄4年(1595)に敦賀城の城主大谷吉継が社殿を造営、慶長2年(1597)に豊臣秀吉から大谷吉継を通して朝鮮鐘(国宝:新羅時代作)を奉納、慶長7年(1602)に福井城の城主結城秀康が本殿を造営、江戸時代初期に小浜城の城主酒井忠勝が中門を寄進などが行われています。当初は気比神宮に対し「奥宮」、「鏡の宮」、「下社」、「常宮大神」などと呼ばれていましたが、明治時代に入り現在の社号である常宮神社に改め、明治4年(1871)に小浜藩から気比神宮の摂社に定められ、明治9年(1876)には県社に列し、明治10年(1877)には内務省から気比神宮の摂社と追認されましたが、その後、気比神宮から独立しています。

常宮神社の社宝である新羅鐘は興徳王8年(833)に鋳造され、文禄の役(文禄元年:1592年〜文禄2年:1593年)の際に豊臣軍が日本に持ち帰り、豊臣秀吉から家臣である大谷吉継を通して常宮神社に奉納したと云われています。寸法は総高:112cm、竜頭高:22.4cm、口径:66.7cm、口厚:6.0cm、極めて貴重な事から昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

現在の常宮神社の本殿は正徳3年(1713)に造営されたもので向拝1間の前室付三間社流造、桁行3間(6.08m)、張間3間(5.00m)江戸時代中期に建てられた大型神社本殿建築として貴重な存在で昭和57年(1982)に福井県指定文化財に指定されています。常宮神社拝所は江戸時代末期に気比神宮の神門として建てられたもので間口1間、奥行2間、四脚門形式の向唐門を拝所として改変されています。常宮神社中門は江戸時代中期の宝暦12年(1726)に造営されたもので、間口1間、奥行2間、四脚門形式の向唐門、銅板葺き。拝所と中門は平成21年(2009)に福井県指定文化財に追加指定されています。祭神:神功皇后。配祀:仲哀天皇、天八百萬比盗_(常宮大神)。

常宮神社(本殿・神門):写真

常宮神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
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常宮神社参道沿いに建てられている燈篭 常宮神社参道石畳みから見た石鳥居と石燈篭 常宮神社参道石段から見上げた神門(唐門) 常宮神社神門(唐門)から見た境内
常宮神社境内から見た拝所と石燈篭 常宮神社本殿左斜め前方 常宮神社新羅鐘を所蔵している宝庫 常宮神社境内に流れ落ちる滝


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