剱神社(越前町)概要: 剱神社は福井県丹生郡越前町織田に鎮座してる神社です。剱神社の創建は神功皇后14年(214)、忍熊王(仲哀天皇皇子)がこの地の賊徒を成敗する際、思わぬ苦戦強いられると、素盞鳴大神が夢枕に立ち、霊剣を授かりました。忍熊王はこの霊剣を振りかざすと形勢が逆転し見事賊徒を平定、忍熊王は神意を感じ祠を建立し霊剣を奉納したと伝えられています。
剱神社はこの故事から特に武将から崇敬され平重盛や朝倉氏、織田氏、徳川氏、松平氏などが庇護しています。特に織田氏の祖は剱神社の神官だったと云われ氏神として社領の寄進や境内の整備などを行い、家臣で北ノ庄城(福井県福井市)の城主ある柴田勝家が領主になると同じく庇護し門前町を含め税の免除などを行っています。
江戸時代に入ると福井藩(藩庁:福井城)・大野藩(藩庁:大野城)の歴代藩主から信仰し篤く庇護され慶長8年(1603)には結城秀康が劔神社の鎮座地である織田村から社領30石分を寄進しています。
剱神社は朝廷からも崇敬され光仁天皇が白壁王時代に神鐘(国宝・総高110cm・口径74cm・神護景雲4年:770年鋳造・国宝)を奉納し弓削道鏡排除の祈願を行ったとされ、江戸時代後期には伏見宮の御祈願所と定められ、拝殿の造営を行っています。
剱神社は格式が高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内小社として記載され、上位から2位にあたる越前国二宮でもあり、神仏分離令後は明治34年(1901)には県社、昭和3年(1928)には國弊小社に列しています。
現在の剱神社本殿は寛永4年(1627)に再建されたもので入母屋、こけら葺、正面に大きな千鳥破風の下に棟唐破風が設えられる「織田造り」と称され、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和54年(1979)に福井県指定有形文化財に指定されています(摂社である織田神社の社殿も同じく福井県指定文化財)。
拝殿は弘化4年(1847)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り。
又、剱神社は古くから神仏習合し、境内には別当寺院として祭祀を司った織田寺の遺構である旧神前院護摩堂が残され江戸時代初期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和62年(1987)に越前町指定文化財に指定されています。
現在の旧神前院護摩堂は延宝3年(1675)に造営されたもので、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、正面1間分は吹き放し、当時は本尊として不動明王が祭られ護摩祈祷が行われていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令によりその役割を終え、明治6年(1873)に進明小学校校舎、その後社務所役場として利用され、現在は神輿殿となっています。
剱神社は社宝も多く、神鐘が国宝に指定されている他、絹本著色八相涅槃図附紙本墨書涅槃講式断簡が国指定重要文化財に、密教法典金銅盤が福井県指定文化財にそれぞれ指定されています。祭神:素盞嗚尊。配祀:氣比大神、忍熊王。
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剱神社:上空画像
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