北陸道: 細呂木〜板取

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北陸道(細呂木宿〜板取宿)

北陸道(福井県)概要: 細呂木宿(あらわ市)は越前国(福井県)と加賀国(石川県)の国境、北陸道の宿場町である北陸道(福井県)藩境に接していた為に重要視され福井藩では口留番所を設けて人物改めや荷物改めが厳重に行われました。宿場には番所に勤める役人の役宅の他、人馬17人、17疋が常備されました。金津宿(板井市)は三国湊(板井市)に通じる交通の要衝で江戸時代後期には本陣1軒、問屋、旅籠55軒の他、揚屋30軒や数多く遊女、多種多様の職人が宿場内に存在していました。福井宿は福井藩の藩庁が置かれた福井城の城下町で、福井藩は大藩だった為、多くの家臣が住した事から大消費地となり多くの物資が集められました。特に2代藩主松平忠直は北陸道の整備に尽力し街道沿いに集落を集めています。

浅水宿は古代北陸道の宿場町にあたる「朝津駅」が設置されたと推定される地域で、近世は大野藩(福井県大野市)の城下町を結ぶ大野街道、勝山藩(福井県勝山市)の城下町を結ぶ勝山街道の分岐点や浅水川舟運の拠点として繁栄し本陣や旅籠、茶屋などが軒を連ねていました。古代から開けていた事で歴史上の人物の往来も多く「あさむつ橋」では西行法師が「越に来て冨士とやいはん角原の文殊がたけの雪のあけぼの」の歌を詠んだとされます。

鯖江宿(福井県鯖江市)は鯖江藩の藩庁が置かれた陣屋町でもあり、板取宿藩主である間部家の家臣達も多く住んでいました。石高は4〜5万石でしたが、実石はさらに少なく常に財政が逼迫していた事から城下町も大きくは繁栄しませんでした。府中宿(越前市)は福井藩の付家老本多家が配された町で、本多家は3〜4万石の石高を与えられ、堀で囲われた館を構えていた事から事実上の城下町として繁栄しました。府中宿と今庄宿の中間に位置する大塩八幡宮は木曽義仲が本陣を構えたと伝わる古社で、北陸街道の街道沿いには義仲縁の史跡が点在しています。

今庄宿(南越前町)は難所である峠を控えていた事から繁栄した宿場町で、江戸時代後期には本陣、脇本陣、問屋、旅籠55軒、茶屋15軒などが軒を連ねました。現在でも数多くの古民家が残され、往時の北陸道の宿場町の風情を感じられます。板取宿(南越前町)は越後国(福井県)と近江国(滋賀県)との国境、藩境に接していた宿場町で、板取宿内には口留番所が置かれ重要視されました。現在でも板取宿には数軒の茅葺屋根の古民家が残されています。

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