芭蕉句碑(永平寺町)概要: 江戸時代中期の元禄2年(1689)、松尾芭蕉は奥の細道の行脚の際、天龍寺の大夢和尚を訊ねています。大夢和尚は元々江戸品川の天龍寺の住職を担っていた事から芭蕉とは旧知の仲だったとされ、昔話にも話が弾んだと思われます。その後、町はずれの茶屋で道中で知り合い芭蕉の門下となり後に蕉門十哲に数えられた立花北枝と別れることとなり" 物書きて 扇引きさく 余波かな "の句贈答句を残しています。この芭蕉塚は天保15年(1844)に松尾芭蕉の150年忌に同好の人達によって建立されたもので、永平寺町指定文化財に指定されています。芭蕉句碑が建立されている天龍寺は江戸時代初期に松岡藩初代藩主松平昌勝が祖母の菩提を弔う為創建した寺院で、当時は松岡藩主の菩提寺として寺運が隆盛し大寺院だったようです。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-松岡町教育委員会
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