安波賀春日神社(福井市)概要: 安波賀春日神社の創建は治暦4年(1068)、神道家吉田兼右が諏訪大社(長野県諏訪湖)に勅使として向かった途中、霊夢により京都の鬼門鎮護として春日四所の社殿が建立されたのが始まりと伝えられています。
その後、京都の鬼門鎮護や後冷泉院勅願所として社運も隆盛し、社領3万石は当時の越前国中第一の大社とされます。中世に入ると一乗谷を本拠として越前国一帯に大きな影響力を持った朝倉氏から庇護され寛正元年(1460)、阿波賀城国合戦により社殿が焼失しますが朝倉孝景が再建するなど社領の寄進や社殿の造営が行われました。
天正元年(1573)、織田信長の越前侵攻により朝倉氏が滅ぶと社殿も焼失し、神官である吉田定澄は御神体と共に甲斐国に落ち延びたと伝えられています。江戸時代に入ると福井藩(藩庁:福井城)の藩主松平氏から庇護され元禄10年(1697)に社殿が再建され当時の神官吉田定親は社領50石が安堵されています。
現在の安波賀春日神社社殿は江戸時代に建てられたもので本殿は三間社流造、正面千鳥破風、銅板葺、桁行3間、張間2間、正面3間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。拝殿は木造平屋建て、入母屋造、銅板葺、平入、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り板張り、福井市指定文化財に指定されています。
又、春日神社の社殿より山上にある瀧殿神社は朝倉義景の分霊を祀ったもので同様に福井市指定文化財に指定されています。祭神:天兒屋根命、武甕槌尊、経津主命、比売大神。
安波賀春日神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 郷土資料事典-ふるさとの文化遺産-福井県-出版元:株式会社人文社
・ 現地案内板-安波賀春日神社
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