気比神宮

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創建年仲哀天皇8年(西暦200年)
祭  神本殿:伊奢沙別命(主祭神)、仲哀天皇、神功皇后
東殿宮:日本武尊
総社宮:応神天皇
平殿宮:玉姫命
西殿宮:武内宿禰命
格  式式内社(名神大)・越前国一宮・旧官幣大社・別表神社
文化財 大鳥居(正保2年、高さ10.93m、柱間7.45m、朱塗り、両部鳥居、日本三大鳥居、国指定重要文化財)
猿田彦面(室町時代、鶴賀市文化財)
能面(尉:銘イセキ・室町時代、鶴賀市指定文化財)
紙本著色 気比神宮古図(鶴賀市指定文化財)
ユーカリノキ(樹高約10.6m、幹周3.25m、枝張東西11.4m、南北10.8m、鶴賀市指定天然記念物)
神  事例祭:9月4日
場  所福井県敦賀市曙町
備  考気比神宮は伊奢沙別命が土公の地に降臨した事が起因しています。仲哀天皇の御代に神功皇后が朝鮮征伐(三韓征伐)の際に気比神(伊奢沙別命)に戦勝祈願すると見事念願成就し勝利を得た事から、神功皇后と武内宿禰は神意に感謝し、仲哀天皇8年(西暦200年)に改めて気比神(伊奢沙別命)を祀る社を設けました。その後、持統天皇6年(692)に20戸の神封が与えられ、大宝2年(702)に社殿が造営され、創建に関わった仲哀天皇と神功皇后の御霊が勧請合祀、東殿宮、総社宮、平殿宮、西殿宮を設けて境内を整備され、さらに霊亀元年(715)に別当寺院である気比神宮寺が創建しています。平安時代中期に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載され越前国一宮として格付けされ、境内社だった「角鹿神社」「大神下前神社」「天利剣神社」「天比女若御子神社」「伊佐奈彦神社」は何れも式内小社として記載されています。当時の敦賀は日本海を通しての国際港として朝廷からも重要視され気比神宮は特別な配慮が成され格式も高かったと思われます。 中世に入ると「北陸道総鎮守」として大きな社領を領し並みの大名以上の一大勢力を所持していましたが、南北朝の動乱で南朝に与した事で北朝方から攻められ大きく後退しました。戦国時代に入ると越前国守護職の朝倉氏の管理下に入った為、織田信長の越前侵攻により朝倉氏が滅ぶとその兵火により社殿が焼失し、さらに庇護者を失なった事で荒廃しました。 江戸時代に入ると福井藩(藩庁:福井城)主松平家から庇護され社領の寄進や社殿の造営が行われ再興を果たしますが往時には至らなかったとされます。明治時代には国幣大社、官幣大社に列格し現在の社号である「気比神宮」に改めています。
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