永賞寺(敦賀市)概要: 永賞寺は福井県敦賀市栄新町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。永賞寺の創建は室町時代後期の天文16年(1547)に開かれたの始まりと伝えられています。
当時は寺運が隆盛し塔頭4院、末寺3ヶ寺を要した大寺でしたがその後、規模を縮小し荒廃しました。当初は天台宗の寺院で東郷中区にありましたが天正19年(1591)に当時の領主大谷吉継が現在地に移し、武山栄文禅師を招いて再興しています。
その際、回船問屋で財を成した道川家を開基とし曹洞宗に改宗、寺号を永昌寺から永賞寺に改め、自らの菩提寺としました。道川家は中世以来、当地で廻船業を営み川船座の頭分だった家柄で敦賀城の城主である蜂屋頼隆、大谷吉継もその役柄を安堵され地子・諸役・櫂役などが免除されていました。特に日本海側の大名との関係が深く、吉継の命で秋田家(安東家)領から秋田杉(太閤板)を敦賀経由で京都伏見に運んでいます。
大谷吉継は慶長5年(1600)に行われた関が原の合戦で西軍に与した為、敗れ自刃しましたが、その後の領主も寺領が安堵し慶長14年(1609)には大谷吉継の供養塔と伝わる九重塔が建立されています。石造九重塔は緑色擬灰岩(笏谷石)製、高さ3.1m(相輪部欠損)、敦賀市には多重石造塔の遺例が極めて少なく貴重な事から平成13年(2001年)敦賀市指定文化財に指定されています。
又、元和9年(1623)、福井藩2代藩主松平忠直が強制隠居となり隠居地である豊後に向かう途中、氣比神宮を訪れた際、永賞寺に三陽和尚(孝顕寺の住職)を招き父親である結城秀康の法要を行ったと伝えられています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
永賞寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-敦賀市教育委員会
・ 現地案内板-永賞寺
|
|