新羅神社(南越前町)概要: 新羅神社の創建は平安時代の貞観元年(859)、智証大師(円珍:平安時代の天台宗の高僧。天台寺門宗の宗祖。入唐八家。)が新羅国の守護神(素盞鳴命)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
真偽は分かりませんが、当時、当地方には朝鮮からの渡来人が数多く存在し朝鮮の神を祀っていたのかも知れません。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されていた式内社、信露貴彦神社の論社で当時は燧山の山頂付近に鎮座していたそうです(信露貴彦神社とすれば齊衡3年:856年に従五位下に列しています)。
源平合戦が盛んな寿永2年(1183)に平家追討の為、木曽義仲が燧山城を築く事となり、新羅神社の境内地が城域を被っていた事から、燧山城の傍らに遷座し小さな社殿を造営しました。
室町時代末期の天文年中(1532〜1555年)に現在地に遷座、江戸時代は歴代福井藩(藩庁:福井城)の藩主松平家が庇護し、寛永4年(1627)には3代藩主松平忠昌が社殿を改築しています。
明治4年(1871)に入り一度白鬚神社に合祀されましたが明治8年(1875)に新羅神社として独立し現在地に遷座、明治9年(1876)に村社、明治13年(1880)に郷社に列しています。今庄宿では新羅神社を上宮、白鬚神社を下宮と称しているようです。
新羅神社の拝殿は入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行4間、張間3間、正面1間向拝付き、本殿は拝殿背後の高台に鎮座し、一間社切妻造り、正面千鳥破風、正面1間軒唐破風向拝付き。祭神:素盞嗚命 火産靈命 大山咋命 、神像(新羅明神:伝・智証大師作)。
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