南越前町: 甲楽城下長谷の洞窟

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概要・歴史・観光・見所
甲楽城下長谷の洞窟(南越前町)概要: 甲楽城下長谷の洞窟(奥行き約20m、高さ7m、幅5m)甲楽城下長谷の洞窟は延元2年(1337)、敦賀金ヶ崎城の落城した時に気比神宮の神官と供にこの地に逃れた後醍醐天皇の皇太子である恒良親王(母は後醍醐の寵姫阿野廉子)が身を隠したと伝えられています。南北朝時代に敦賀金ヶ崎城は南朝方の重要拠点として有力武将だった新田義貞が2千の兵で立て籠もりましたが、北朝方の高師泰・斯波高経率いる軍勢10万で攻められ、義貞嫡男の新田義顕と尊良親王(後醍醐天皇の皇子。母は二条為世の娘・為子)は自刃しています。当時、13歳(又は15歳)だった恒良親王は当時の気比神宮の神官だった気比氏治の子供である気比斎晴に助けられ敦賀金ヶ崎城を脱出し甲楽城下長谷の洞窟に身を隠しましたが、その後、恒良親王は北朝方に捉えられ京都の花山院第に幽閉され毒殺されたと伝えられています。甲楽城下長谷の洞窟は歴史的に貴重な事から昭和60年(1985)に南越前町指定史跡に指定されています。

甲楽城下長谷の洞窟:写真

甲楽城下長谷の洞窟
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