南越前町: 今庄観音堂

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概要・歴史・観光・見所
今庄観音堂(南越前町)概要: 新羅神社に隣接している観音堂です。今庄観音堂の右斜め前方と社叢、苔むした境内現在の観音堂は大正9年(1920)の火災で焼失後の昭和3年に再建されたもので、木造平屋建て、切妻、桟瓦葺、平入、桁行4間、梁間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は板張り。今庄観音堂の創建は江戸時代初期の慶長20年(1615)、棟岳寺の住職の霊夢に観音菩薩の遣いと思われる童子が出現し、新羅神社の近くに観音像を安置するように告げ、早速住職がその地を訪れると、霊夢で見た童子が現れ観音像を授かったのが始まりとされます。当初は草庵程度の堂宇でしたが、同年に発生した大坂の陣で、福井藩(北ノ庄藩)初代藩主結城秀康の次男松平忠昌が北国街道を利用し今庄宿を訪れた際、観音像の話を聞き及び、戦勝祈願を行ったところ、見事念願成就し勝利を収めました。その後、忠昌は出世を重ね、元和9年(1623)には兄で2代藩主松平忠直が「不行跡」を理由に配流処分となった事を受け、3代藩主に就任、観音菩薩の御加護を再認識した忠昌は寛永4年(1627)に正式な寺院として「天童山円通寺」を開き観音堂を造営しました。又、境内背後の愛宕山の山頂には平安時代末期に木曽義仲の命で仁科守弘が築いたとされる燧ヶ城がある事から、参道には「義仲の 寝覚の山か 月かなし」の芭蕉句碑が建立されています。

今庄観音堂:写真

参道石段から見た今庄観音堂の正面
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