藤島神社(福井市)概要: 藤島神社は福井県福井市毛矢3丁目に鎮座している神社です。藤島神社の創建は明治3年(1870)、当時の福井知藩事・松平茂昭が新田義貞の戦死したと伝えられる場所に祠を建立したのが始まりです。
新田義貞は延元3年(1338)に灯明寺畷で戦士したと伝えられ、明暦年間(1655〜1658年)に新田義貞の兜が見つかり、万治元年(1660)に福井藩(藩庁:福井城)の藩主松平光通が「新田義貞戦死此所」の碑を建立しています。
明治9年(1876)に別格官幣社藤島神社(建武中興15社の1社とされる。)となり、明治14年(1881)に福井市牧の町に遷座、さらに明治34年(1901)に現在地に遷座しています。
藤島神社の社宝である元応2年(1319)に製作され義貞のものと伝わる鉄製銀象眼冑(明暦年間:1655〜1657年に吉田郡福万町の燈明寺畷の水田から発見され松平家が所有)は旧藩主松平家が明治10年(1877)に藤島神社に奉納したもので明治33年(1900)に国指定重要文化財に指定されています。
備中国吉次の太刀は南北朝時代の正中3年(1326)に製作、長さ76.2cm、反り2.4cm、附:金梨子地葵紋蒔絵糸巻太刀拵、明治10年(1877)に徳川家達公爵が藤島神社に奉納したもので明治42年(1909)に国指定重要文化財に指定されています。
銘則重の太刀は鎌倉時代末の刀工新藤五国光の一門越中国呉服郷出身の則重作で、新田義貞の弟である脇屋義助が所有していたとの伝承が伝わり、長さ70.6cm、反り2.5cm、昭和5年(1930)に国指定重要文化財に指定されています。結城宗広自筆書状は正中元年(1324)に宗広から新田義貞宛に送った書状で、縦32cm、横68cm、大正3年(1914)に国指定重要文化財に指定されています。
藤島神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、銅板葺き。主祭神:新田義貞。配祀神:新田義宗、脇屋義助、新田義顯、新田義興卿、一族郎党殉難將士。
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藤島神社:上空画像
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