・松岡陣屋は正保2年に立藩した松岡藩の藩庁、藩主居館として整備されたものです。
正保2年に福井藩3代藩主松平忠昌が死去すると、その庶子である松平昌勝に越前国の足羽郡、吉田郡、丹生郡、坂井郡、今立郡、南条郡、大野郡内108村、5万石が福井藩領から分知され松岡藩が立藩しています。
松岡藩は石高が5万石あったものの、城主格では無く、あくまで福井藩の支藩的扱いだった事から藩庁の城郭は認められず、陣屋に留まっています。
慶安元年から陣屋新設の工事が開始され承応3年にようやく昌勝の入部が果たされています。
陣屋の敷地は7780坪で、二重の方形の郭で構成され、周囲を土塁と堀で囲み、内部を「御構之内」、外側を「御構之外」と呼んでいました。
御構之内には一般敵な武家屋敷が123軒、御構之外には御徒屋敷20軒、御坊主屋敷9軒、足軽屋敷125軒等が配されていました。
元禄6年に昌勝が死去すると3男である松平宗昌(昌平)が家督を継ぎましたが、享保6年に本藩である福井藩主松平吉邦が死去し嗣子が居なかった事から昌平(宗昌)が本家を継ぐ事となり、松岡藩は福井藩に吸収され、廃藩となり、それに伴い陣屋も廃止となっています。
陣屋の後は「明屋敷」と呼ばれる畑になりましたが、その後は宅地開発等で目立った遺構は失われています。
案内板の傍らにある椿は初代藩主松平昌勝が愛した椿と推定され「お館の椿」との別称があり、推定樹齢350年、貴重な事から永平寺町指定天然記念物に指定されています。
福井県:城郭・再生リスト
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