大黒丸城

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大黒丸城:略データ
・場 所・福井県福井市三宅町
・築城年・建武4年
・築城者・朝倉広景
・城 主・朝倉氏
・構 造・平城
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・大黒丸城は建武4年に足利(斯波)高経に従い、但馬国から越前国に下向した朝倉広景が黒丸庄を知行する一条氏の目代となり居城として築城したとされます。

足利高経は越前国守護職として越前国府に入り政務を執ったものの南朝方の有力武将である新田義貞と脇屋義助兄弟に攻められ敗北した為、国府を追われ黒丸城に退去しています。

その後、高経は黒丸城を拠点として南朝方と対峙し、建武5年には藤島の戦いで新田義貞を討ち取っています。

しかし、延元4年脇屋義助の反撃により黒丸城は落城し、高経は加賀国に落ち延びています。

その後、体制を整えた高経は越前国に侵攻し黒丸城を奪還、敗北した義助は美濃国に落ち延び、北朝方は暦応4年頃までは越前国全域を掌握しています。

その後も朝倉家は黒丸城を居城として斯波家(足利家)を主家と仰ぎ、その被官として越後国の経営に尽力しています。

しかし、斯波家が次第に衰微する一方で、朝倉家は台頭するようになり、5代当主朝倉教景の代に越前国内に大きく勢力を拡張し、7代朝倉孝景は斯波家や越前国守護代甲斐氏等の反対勢力を一掃し越前国を掌握すると念願だった越前国守護職に任ぜられています。

文明年間に孝景は本拠地を一乗谷に遷した為、黒丸城の重要性が低下し廃城になったと思われます。

大黒丸城は約70m四方の単郭の平城で、周囲を堀と土塁で囲っていたようですが、現在は土塁の一部と詰城と思われる背後の高台に空堀の一部が残されています。

大黒丸城:付近地図
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