・川口城は延元2年に畑時能によって築かれたとされます。
畑時能は正安元年に畑胤時の次男として生れ、早くから新田義貞に従い、やがて側近として重用され新田四天王の1人に数えられました。
時能は細呂木城に入り、川口城には細屋右馬助に守備させています。
延元3年/建武5年に新田義貞が討死した後も義貞の弟である脇屋義助に従い、北陸地方を転戦しています。
時能は、大聖寺周辺を領していた土豪である敷地氏や山岸氏、上木氏等を従え大聖寺城を攻め津葉五郎を破ると北朝方の有力武将で越前国守護職の斯波高経が率いる北朝方の大軍をこの街道筋で打ち破っています。
興国2年/暦応4年に鷲ヶ岳に家臣16騎で立て籠もり斯波勢に対峙しましたが最後は大軍に突入し、その時受けた傷で3日後に死去しています。
時能が死去すると、その一子である惟能は出家し玉泉坊道教を名乗り、時能の菩提寺となる高須山応蓮寺を開創しています。
応蓮寺が所有する鉄笛は元々楠木正成が所持していたものでしたが、その後、新田義貞、脇屋義助に渡り、さらに時能が賜り、惟能に受け継がれたとされます。
川口城の城跡の一角に建立されている「応安2年」銘の供養塔は貴重な事からあわら市指定文化財に指定されています。
福井県:城郭・再生リスト
|