御簾尾館

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御簾尾館:略データ
・場 所・福井県あわら市御簾尾
・築城年・南北朝時代
・築城者・小布施氏
・城 主・小布施氏
・構 造・居館
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・御簾尾館が何時頃築城されたのかは不詳ですが南北朝時代に小布施氏によって築かれたのが始まりとされます。

永徳2年には当時の城主と思われる小布施義氏が梅山聞本禅師を招いて館の隣地に瀧澤寺を開創しています。

伝承によると、義氏が妾である於笹を余りにも寵愛した事から、正室の嫉妬により於笹の母親の形見である鏡を池に投げ捨てた為、於笹はその怒りで大蛇に変化し当地に大きな被害をもたらしました。

その時、館の近くに草庵を設けていた梅山聞本禅師は於笹を諭し被害を食い止めた事から、義氏は禅師を篤く感謝し七堂伽藍が整備された寺院を開創し、禅師を住職として迎えたと伝えられています。

龍澤寺は曹洞宗總持寺派の北陸地方の根本道場として各地から多くの修行僧が集まった事から、城下町も門前町として賑わっていた可能性があります。

当地は坪江庄と呼ばれる総田数約60町の荘園があり、正応元年に皇室から春日大社に新三十講料所として寄進され、法会を総括する興福寺大乗院が支配し、小布施氏は坪江庄の政所職と同じく河口荘大口郷の別当職を担いました。

その後も小布施氏は当地を本拠地とする国人領主として長く当地を支配しましたが、朝倉氏が台頭すると敗退したようで、「朝倉始末記」には小布施氏の名が記載されていないようです。

館は概ね200m前後四方で、周囲を堀と土塁で囲い、竹田川と熊坂川を天然の外堀に見立てたようです。

現在でも、若干の高低差や、土塁や堀と思われる形跡が残されています。

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