・吉江陣屋は正保2年に松平昌親が本藩である福井藩から2万5千石が分知され、慶安元年に吉江藩を立藩、その藩庁、藩主居館として明暦元年に築かれました。
松平昌親は寛永17年に福井藩3代藩主松平忠昌の5男として生れ、正保2年に忠昌が死去した時はまだ幼少で、慶安4年に元服したものの、それでもまだ11歳の若さでした。
その為、立藩した当初は本藩である福井藩の影響下で藩政が行われました。
慶安元年には日野川右岸の丹生郡牛屋、杉本、西番、米岡の4ヵ村を召し上げ、陣屋が縄張りされ陣屋町が町割りされました。
陣屋の周辺には武家町が町割りされ、そこには家中屋敷が宛がわれ、町人町には敵の侵入を防ぐよう七つの鉤型に曲がった通称「七曲り通り」を中心に新町、西町、牛屋町、本町、東町、柳町の6町が町割りされました。
延宝2年、兄で福井藩主である松平光通が死去すると、遺言により昌親が福井藩主を継ぐ事になった為、吉江藩は廃藩、陣屋も廃されています。
吉江陣屋は東西100m、南北120mの単郭だったと推定されていますが、短期間で廃止され、その後は田畑として改変された為、詳細は不詳とされます。
唯一の遺構としては、陣屋の表門と伝わる門が近くの西光寺の山門として移築され、現存しています。
西光寺山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、間口3.1m、薬医門形式、貴重な事から国登録有形文化財に登録されています。
尚、陣屋町は廃藩後も在郷町として維持され、福井藩の保護もあり長く繁栄し、現在も懐かしい風情ある町並みが残されています。
福井県:城郭・再生リスト
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