・林城は林六郎太夫光明が築いたと伝わる中世の平城です。
林六郎は越前守とも越前押領使とも云われ、源平合戦の際には富樫入道仏哲と共に木曽義仲に従い、燧ケ城攻めにも従軍し、平家物語にもその名を連ねています。
林六郎は社寺の保護も積極敵だったと見られ、保元2年には木田神社の社殿を造営し、あわら市の八雲神社では北潟浦の氏神に定められたとされます。
一方、石川県では林六郎を当時の加賀国内の最も勢力を有した武士団の棟梁とし、白山市和気寺町や野々市石中林名等に林氏の館跡との伝承が残り、白山市日御子町にある六郎塚(六郎杉)は杉六郎光明の墳墓と伝えられています。
又、義経記にも林六郎が登場し、源義経が金劔宮(石川県白山市)で神楽を奉納していた際、富樫介に注意するようにと助言を行っています。
隣接する藤島城と混同している為、足羽七城としたり、波多野出雲守や、朝倉家の家臣である土肥左馬等が城主として挙がっていますが事実かどうかは判りません。
林城は東館と西館と呼ばれる2郭で構成される平城で、東館が南北約100m、東西約70m、西館が南北約120m、東西約90m規模で周囲を堀と土塁で囲っていたようです。
現在は宅地化と圃場整備により目立った遺構は失われています。
敷地内には僅かな段差等が残されていますが、直接の遺構かどうかは不詳です。
福井県:城郭・再生リスト
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